固定相場制の長所と短所

アルゼンチンでは、これまでにデフォルト(債務不履行)を何度か経験しています。
1989年には、デフォルトから復帰するために固定相場制に移行しています。一方で、2001年には固定相場制のもとで再度デフォルトになってしまいました。
これらの事例を参考に、固定相場制の長所と短所を見ていきたいと思います。

固定相場制の特徴

固定相場制の仕組み

固定相場制は、基軸通貨であるドルに相当する自国通貨の金額を一定に保つ制度です。日本の自国通貨である円で考えると、例えば1ドル=100円と決めて固定することになります。
ドルの価値はアメリカの経済によって変動しますが、それでも1ドル=100円であることは変わりません。ドルでも円でもない自国通貨を持つ国から見れば、ドルの価値が高まれば円の価値も高まることになります。

自国通貨の発行が制限される

基本的に、自国通貨は中央銀行の権限で発行できます。外国と貿易をしない鎖国状態であれば、国内の経済を調整するために自国通貨を発行すれば良いのです。
ただし、現代では外国と貿易するために外貨との両替が必要です。例えばアメリカが日本に製品を輸出したら、代金はドルで支払ってもらう必要があります(アメリカでの買い物にはドルが必要なので)。そのため、アメリカから100ドルで製品を買う場合、日本は10,000円を国内で100ドルに両替して支払います(1ドル=100円の場合)。
このとき、国内に50ドルしかない場合、日本は5,000円分の支払いしかできません。それでは困りますので、固定相場制ではドルに換金できる金額までしか自国通貨を発行することはできません(厳密にはもう少し複雑だと思いますが、とにかく発行できる自国通貨額が制限されるということです)。何兆何京と円の紙幣を刷ったところで、外貨両替ができなければ外国との貿易が成り立ちません。
変動相場制なら、大量に円の紙幣を刷っても外国から見た円の価値が下がるだけで(1ドル=200円など)、両替するためのドルが不足することは回避できます。

アルゼンチンの経験

さて、ここからはアルゼンチンの事例を見ていきます。

年率5,000%のインフレ

1989年のアルゼンチンは変動相場制でしたが、年率5,000%ものインフレを経験します。中央銀行が紙幣を大量に発行しまくったのだと思われます。

インフレ抑制のため固定相場制に移行

1991年に、アルゼンチンは固定相場制に移行します。これにより、中央銀行が発行できる自国通貨(ペソ)が制限され、1993年のインフレ率は7.4%まで沈静化しました。

ドルの高騰

しかし、その後にアメリカの情勢により、アメリカの中央銀行(FRB)が金利を引き上げます。金利上昇によってドルの需要が高まり、ドル高になります。アルゼンチンは固定相場制のため、ドルに伴いペソの価値も高くなります。
ペソが高くなると、貿易相手国としてはアルゼンチンの製品を高いペソで買う必要があり、アルゼンチンへの輸出が難しくなります。しかし、アルゼンチンの最大貿易相手国はブラジルであり、ブラジルも当時は固定相場制でした。このため、ドルやペソと同じくレアル(ブラジルの通貨)も高くなっており、両国の貿易への影響はそこまでなかったようです。

最大の貿易相手国ブラジルが変動相場制に移行

しかし、ブラジルは海外への輸出が苦しい状況になりました(他の国から見ればレアル高なので、ブラジル製品も高くなってしまう)。このため、ブラジルはレアルの価値を安くするために変動相場制に移行しました。
ブラジルのレアルが安くなっても、外国から見るとアルゼンチンのペソは高いままです。これによりアルゼンチンの輸出は業績が悪化し、関連企業の株価が暴落します。アルゼンチンに対する信用が下がり、国債を売りたがる外国投資家が出てきます。
アルゼンチン政府は、国債を買い取るためにペソで支払わなければなりません(外国投資家は、まず国債をペソに換金し、ドルに両替します)。しかし、ペソの発行は制限されているため、国庫のペソが不足した場合は国内からかき集めなければなりません。結局は買い取るためのペソが用意しきれず、デフォルトに陥ってしまいます。

まとめ

固定相場制のメリット

自国通貨の発行に制限を課すことでインフレを抑制できます。

固定相場制のデメリット

ドルの価値(アメリカ市場の影響)に連動してしまい、外国投資家による国債の売りなどで必要なペソが用意できずにデフォルトに陥る可能性があります。

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